「呼び出し電話」小江戸川越散歩457
父が公務員だったこともあり、公務員宿舎で長い事暮らした。
長屋や平屋が何軒もあり、まだ各家庭には電話もなかった。
アポロが月に到着した辺りに、我が家にカラーテレビがやってきた。
曖昧な記憶だけど、我が家に電話が来たのもそのころだった。
夜に我が家に○○さんあてに電話がかかる。
大体呼びに行かされるのは子供の役目である。
酷いときは「炬燵を切り忘れた」なんて言うのが何度もあり、その都度、炬燵を消しに行かされる。
独身の大学関係の方もいたのだが、絵描きの家はキャンパスだらけで、裸の絵やら、訳の分からない抽象画。
他の家は難しそうな本の山で、炬燵のテーブルはいつ食べたのか分からないドンブリや酒の飲み残しのコップが置いてある。廊下は書類やゴミの袋で足の踏み場もない。
暗い家の電気のスイッチもわからないから、夜は懐中電灯を持って行く。
暗闇にこれらの物があるのだから、子供にはかなり恐ろしい。
こんな用事を任されるときは、ほぼ100%炬燵はつきっぱなしなのである。
電源を抜くとともに、何かを踏もうが、躓こうが後ろは振り返らない。
そんなわけで、学生さんのいる共同の長屋は、漫画が沢山あることを知っていたから貸してもらったり、暇なときはキャッチボールをしてもらったり。
絵描きの人は手塚治虫のファンだったようで「火の鳥」を借りて読んだのも丁度その頃。
電話番号が二桁だった時代はさすがに自分は知りませんが、あれはあれで面白い時代だったなと時々思い出したりします。